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田中正造翁の入獄
2022-09-26


禺画像]
『よろづ短言』内村鑑三 著

 (293-297頁)
 田中正造翁の入獄             2022.09.26

 田中正造翁の入獄は近來稀に聞く所の惨事である、深く此事に就て思念を運す人にして奇異の感に撃たれない者はあるまい。
 翁とても勿論完全無缺の人でないことは余輩とても能く知つて居る、然しながら此罪惡の〓會に在て翁ほど無私無慾の人の多くない事も亦余輩の保證する所である、窮民の救濟に其半生を消費し、彼等を死滅の瀕より救はんとするよう外に一つの志望もなければ快樂もない此翁は實に明治現代の一義人と稱しても決して過賞の言ではなからうと思ふ。
 然るに此人が此窮民を辯護しつゝありし際に官吏の前で誤て欠伸を爲たりとて其老體の死に近かんとしつゝあるにも拘はらず、日本帝國の法律に問はれて一ヶ月と十五日の重禁錮の刑罰に處せられたとのことである、余輩は法律學に暗い者であるから刑の適用の當否に就いて云爲するに由なしと雖も、而かも現代の法律なる者は情と慈悲とより離るゝ餘りに遠き故に、其結果終に斯る稀有の善人までを獄に投ぜねばならぬに至たかと思ふて涙〓然たらざるを得ない。
 田中正造翁に比對して翁に此苦痛を持來すの原因たりし古河市兵衛氏の〓態を考へて見たらば如何であらう、若し世に正反對の人物があるとすれば夫れは田中翁と古河氏とである、二者大抵同齢の人であつて一つは「窮民を救はん」としつゝにあり、他の者は窮民を作りつゝにある、然るに無辜の窮民を救はんとしつゝある田中翁は刑法に問はれて獄舎に投ぜられ、窮民を作りつゝある古河市兵衛氏は朝廷の御覺え淺からず、正五位の位を賜はり、交際を廣く貴族社會に結び、基督教界の慈善家にまで大慈善家として仰がれ、日本國到る處に優遇歡待されつゝある、田中翁は官吏の前に欠伸を爲したればとて法律の明文に依て罸せられ、古河市兵兵衛氏は多くの妾と蓄へ ,十數萬人の民を飢餓に迫らせて明白なる倫理の道を犯しつゝあるも法律に明文なければ氏は正五位の位階を以て天下に闊歩す、余輩此事を想ふて現代の法律なるものゝ多くの塲合に於ては決して人物の正邪を判別するに足るものでない事を思はざるを得ない。
 然しながら熟々考へて見るに古河市兵衛氏の地位は決して羨むベきではなくして、田中翁の目下の境遇こそ却て余輩の慕ふべきものである、「義の爲めに責らるゝ<者はbネり」、善を爲し義を行はんとして、それが爲めに苦を受 <る乙ど程幸bネることは實は此世にないのである、斯く爲られてこそ吾人は始めて世界の義人の群に入ることが出來るのであつて、ソクラテスの心を知らんと欲し、キリストの苦を思い遣らんと欲すれば吾人は必ず一度は此苦痛を味はなければならない、正五位の榮位と之に伴ふ榮譽に與かるのも幸bナあるかも知れない、然しながらキリスト、ソクラテス等世界有數の偉人の心を知るの榮譽は明治政府が其寵兒に與ふる位階勳章に勝る幾層倍の榮 譽であることは余輩の言を俟たずして明かである、故に田中翁たる者は今回の入獄に就て甚く失望することなく、人生の快味の却て此邊に存するを知り、人を恨むとなく〓會を憤ることなく、君の出獄の日を待て、更に一層の謙遜と愼重の態度とを以て君の終生の志望を貫かれんこと、是れ君の友人の一人なる余が梅雨の空に際して獄中の君を思ひ遣りて君のために書き記す所の祈願である。
       (明治卅五年六月廿一日)

引用・参照・底本

『よろづ短言』内村鑑三 著 明治四十一年六月三日發行 警醒〓書店

(国立国会図書館デジタルコレクション)

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