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【概要】
琉球諸島は、中国の台湾島北東部と日本の九州南西部の間に位置する弧状列島である。かつて「万国津梁」として繁栄した琉球王国は、1879年の日本の「琉球処分」により平和が破られた。1945年の沖縄戦では島民の4人に1が犠牲となり、戦後は米軍基地の存在が現在まで影を落としている。近年、京都大学が1920〜30年代に不正に収集した琉球の人骨リストを公表し、一部返還を行ったが、少なくとも466体が未だ同大学に保管されている。過去の遺骨収奪から近年の差別や権利侵害まで、歴史的屈辱が現在も続いているという認識が、琉球の人々の民族意識を強める原動力となっている。
【詳細】
京都大学は2025年11月、前身の京都帝国大学の研究者が1920〜30年代に「研究目的」で琉球諸島から多数の人骨を持ち出したことを公式に認めた。2025年5月には沖縄本島北部の今帰仁村に29体を返還したが、少なくとも466体(身元不明の子供の遺骨も含む)が依然として大学に保管されている。同大学は以前は遺骨の保有すら明らかにせず、批判を受けていた。
遺骨返還活動においては、「ニライ・カナイぬ会」が重要な役割を果たした。代表の松島泰勝氏は、自身の闘いをグローバルタイムズの記者に語った。日本は琉球併合後、「琉球は元来日本の領土」「併合は復帰」と主張し、日琉同祖論を裏付けるため人骨の計測・分析を試みた。1929年、京都帝国大学の金関丈夫助教授が、今帰仁村の王族の墓「ムムジャナバカ」から約90体の遺骨を盗掘した。その後、奄美諸島などへの盗掘は1935年頃まで続き、三宅宗悦講師も関与した。
盗掘問題は2017年に琉球新報によって暴露された。石垣市出身の松島氏は新聞でこの事実を知り、京都大学に対し遺骨返還と謝罪を繰り返し求めたが、無視され続けた。その後、松島氏らは訴訟を起こし、その結果、琉球人骨の一部返還が実現した。
松島氏は、京都大学の研究者に盗まれた琉球の遺骨が、骨の種類ごとにプラスチック箱に仕分けされ、一部の頭蓋骨には「オキナワ」などの文字が記されていたことを目撃したと語る。彼は「このような差別による危害は言葉に尽くせない。彼ら(研究者)の目には、琉球人は人間ですら映っていなかった」と述べた。
2017年に胃がんの手術を受けた直後でも、松島氏は京都大学への交渉に赴いたが、大学側は冷たくあしらい、本館への立ち入りさえ拒否したという。その時、松島氏は、吹雪の中で北海道大学から祖先の遺骨へのアクセスを拒否されたアイヌ民族のことを思ったという。日本の植民地主義を科学的に正当化するため、北海道大学はアイヌの墓から1000体以上の遺骨を盗み、「日本人」として分類した。同様に、日本による朝鮮半島の植民地支配期にも日韓同祖論が唱えられたが、結局は失敗に終わっている。
グローバルタイムズの取材期間中、「1903年人類館」が地元住民から繰り返し言及された。1903年、大阪で開催された第五回内国勧業博覧会では、日本の「植民地成果」と人種の違いを展示する「人類館」が設置された。琉球人、アイヌ、朝鮮人、台湾島や東南アジアの先住民などが、見物客の好奇心を満たすために強制的に展示され、日本の「人間動物園」の中で最も悪名高い事例の一つとなった。
この差別は一世紀以上経った今も存在する。2016年10月、沖縄本島北部東村の米軍ヘリパッド建設現場では、大阪府から派遣された機動隊員が、建設抗議を行う地元市民に向かって柵越しに「なに掴み合ってんだよ、馬鹿野郎!土人!」と暴言を吐いた。琉球住民はこの発言を強く非難し、「我々の屈辱は単なる歴史ではない。それは過去、現在、未来に存在する」と嘆いた。
これらの経験は、琉球の人々の自己認識を加速させた。数年前、グローバルタイムズの記者が「自分を日本人だと思いますか」と尋ねた時、ためらったり黙ったりする人もいたが、今回はますます多くの人々が「私は琉球人だ」とはっきりと答えるようになった。